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津軽氏(つがるし)は、16世紀末から廃藩置県

津軽氏(つがるし)は、16世紀末から廃藩置県の頃まで、現在の青森県のうち津軽と外ヶ浜を支配した大名。通し字は「信」

本姓はかつて清和源氏を称していたが、途中で藤原氏に変えている。

津軽家の系図では、清和源氏の一流で河内源氏の傍系 甲斐源氏の流れを汲む南部氏の庶家 大浦氏を祖とするとしている。しかし、久慈家から養子に入った大浦為信が近衛家の傍流を自称して以来、藤原氏を称している。

なお、2代信牧には将軍家から満天姫が嫁ぎ、14代義孝の娘華子は皇室に嫁いでいる。

沼田 祐光(ぬまた すけみつ、? - 慶長17年(1612年)?)は安土桃山時代から江戸時代の武将。陸奥の大名津軽氏の家臣。沼田面松斎。

津軽為信の軍師として活躍したと言われているが、明確な功績についての詳細はあまりわかっていない。
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上野沼田氏の一族で、源頼朝の時代より若狭国熊川を領有し、後に若狭武田氏に属した。祐光の父沼田光兼(宗兼?)は永禄年間に熊川城を築城したが、永禄12年((1569年))、武田氏の被官・松宮玄蕃允に攻められ沼田一族は近江へ退出し、熊川城は松宮氏の支城となった。

陰陽道・易学・天文学に通じていたと伝えられ、伝えられる話にも易学や天文を駆使した伝承が伝わっているものの(弘前城築城時の城地選定の際、土地の吉凶を占う、など)、いずれにせよ現時点での資料では、出身地等の津軽氏仕官以前の経歴および津軽氏に仕えてからの詳しい実績等は不詳とせざるを得ない。なお、青森県の弘前市の誓願寺に面松斎の墓所とされるものが存在する。

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2009年06月05日 10:28に投稿されたエントリーのページです。

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